『日常の中の尊厳』Onlineトークライヴ:2022.3.27
2022年3月27日10時より、『日常の中の尊厳』第2回にゲストとしてお招きいただきました。
お話しできることがあるのだろうか?
と一瞬、思ったのですが、新しいことには参加してみよう、とお受けいたしました。
概要はこちらです。
そもそものはじまりと「尊厳に出逢う会」
このたびのオンライン・トークライヴにお声かけいただいた、そもそもの始まりは、
『Dignity -尊厳ー』の翻訳者:淑悦(Yoshie)さん、HSEEDS主宰Harumiさんによる、「尊厳に出逢う会」のオンライン座談会に参加したことです。
Harumiさんとは、かれこれ6,7年前にお会いしました。
その後、当時シンガポールに在住していたHarumiさんに、仕事でシンガポールを訪問した際にお会いしました。
Yoshieさんには、HarumiさんのFB投稿で知ったオンライン「尊厳に出逢う会」で初めてお会いしました。
『Dignity 尊厳』を翻訳なさったYoshieさんだからこそ、のファシリテーションをしてくださいました。
HarumiさんとYoshieさんが」を始めた経緯は、H SEEDSの記述より、こちらです。
H SEEDSより【自分の尊厳に出逢う】
なんだかなぁ〜、理不尽!
冷静になって見れば、その状況や周りの背景を理解することはできるのだけど、やはり悔しいし、何だか悲しい。こんな風に、いつまでもモヤモヤしちゃうことって、ありますよね?
その度に、「それを上手く対処していくのが大人というもの」と教えられてきたけれど、それでも何だかモヤモヤは消えない。一体、この感覚はどこからくるものなのだろうか?
そんな風に思いながらも、いつの間にか自分が傷つかないように、理不尽だと思う自分の心を先に押し込んでしまう術を知る。気づけば「大人とは、そういうもの」と自ら言うようになっていた。
あなたも似たような経験があるのではないでしょうか?
実は、これが「尊厳」に大きく関わっていると知ったのは、
尊厳が関係性の中で果たす役割について、初めて言語体系化した
第一人者ドナ・ヒックス氏の著書『Dignity-尊厳』という本に出会ってからでした。
続きは、ぜひこちらで↓↓
出典:https://www.artoflifeharumi.com/encounterdignity
「私の感じた尊厳。そして希望」を語る前に
2021年に、前述の『尊厳に触れる会』のオンラインで語り合う会に参加しました。
安心安全の場をつくるために、お顔出しで、ゆったり・じっくり、思いおもいに語る、というものでした。
日頃、「尊厳」を考える、ということは、そうはないかもしれません。
けれど、ふと振り返ってみると、自分の存在が揺らぐようなことは何度かありました。
その時、どんなことがもとになっていたか、後から考えてみると、
自分の存在価値がないような気持ちになったのではないかな、と思います。
このことからは、私の中では、自分の存在価値と尊厳がつながっていた、といえるのかもしれません。
尊厳って何でしょう?
さて、
なんとなく、ですが、
特に感染症蔓延以降、心に傷つきがある人が多いのではないか、と思います。
のみこんでしまう声は外に出ませんね。
大丈夫、大丈夫、と何度も唱えて、頑張っている人は多いと感じます。
自分もその一人だといえます。
傷つきが目盛りを超えると、脱力、無気力、を感じるように。
がまん、は、こまめに外に出すか、解消していくといいものです。
けれど、溜めると、反動が大きかったり、長引いたり。
バーン、なのか、じわじわ、なのか、はその時々でしょうけれど。
いずれもエネルギー消耗し、痛みは自分に反映されます。
そういう経験も大切だとは思いますが、あまりに目盛りを振り切ってしまうと、立ち上がることさえできない、ものすごく時間がかかることも。
我慢する、その理由の出来事に、尊厳と関わることが潜んでいるのではないか、と思います。
そこで、3月27日を前に、覚書めいて、
いま思い出す、尊厳を意識させたできごとを考えてみたいと思います。
長くなってしまったので、興味のない方、長文苦手な方は、飛ばして、この項の先にいってくださいね。
例えば、私が30歳手前のことで、ごく個人的なことです。
仕事の、ちょっとした期間が空きました。
当時住んでいたマンションのすぐ前に、コンビニがありました。
短期間だけれど、決まっている新しい仕事が始まるまで、ちょっと暇だし、目の前で近いし、夜時間をバイトしてみよう、と応募してみたのです。
人出不足からか、直ぐ採用。
その面接後に、40代くらいの男性店長が、
「あんたも、その年のおばさんで、ひとりじゃ、どうしようもないよね。働かないと」
面と向かって、私に言ったのでした。
20年以上も前ですが、さすがにその当時でも、こんなことを言う人がいるんだ、という驚きが怒りに勝りました。
とはいえ、当然、いい気持ちはしません。
SNSがまだ盛んでなく、SNSで炎上ということも、未だない時代でした。
SNSがあったら、私も投稿してしまっていただろうか・・・と思ったり。
そのままバイトに入りましたが、なんだかイヤになってしまいました。
もう1日だけ勤務しましたが、店長のもの言いがなんともいえず、結局、辞めてしまい、2日間の7,8千円のバイト代ももらいに行かないままでした。
先方からも、バイト代の連絡はありませんでした。
後にも先にも、そのような働き方はこの時だけ。そのくらい、嫌になってしまったのですね、きっと。
このような、ごくささい(と思えるよう)なこともあれば、
人の生き死に、に関わる尊厳もあります。
私は23歳~4年ほど、都内の大学病院、胸部(循環器)外科に勤務していました。
心臓や肺、血管などの手術を受ける方の病棟でした。
今でも、時々鮮明に思い出す場面があるくらい、20代の私にはインパクトがある出来事の多い時期でした。
そして、イギリスに公衆衛生の現場の見学等で1年滞在した後、都内の特別区で保健師を4年ほど。
自転車で、地域のお宅を訪問して、いまで言うケアマネージャーのような役割をしたり、赤ちゃんのいるお宅に訪問したり、難病の方々の会を運営したり、生まれてすぐ手術したお子さんやダウン症のお子さんのご家族とは数年間おつきあいさせていただいたり、という時期でした。
今のように介護制度が始まる前の試用期間の頃でした。
ですから、なかなか使える制度も少なく、長い間の家族関係の果ての、何とも言えない情景の介護の現場にも関わりました。
28歳から32歳の頃、私はまだまだ未熟な人間で、しかし、それに気づいていたのかも怪しく、様々を思い出すと、なんと考えの無い・浅い対応だったのだろうかと、ギャーと叫びたい思いに駆られます。
その後の企業勤務や、大学勤務でも、自分ができることは、心を尽くしはしましたが、浅慮であったことも多いと思い出されます。
そのどれもについて、共通するのは、人の尊厳だと、あらためて思うのです。
では、尊厳とは何でしょう?
尊厳とは「とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。またそのさま。」(デジタル大辞泉)とあります。
「人間の尊厳」というときは、人間の誰にも共通する尊厳、
「個人の尊厳」は、個別の人の尊厳といえるでしょう。
ちなみに、日本国憲法では「個人の尊厳」と表現しています。
あなたの「価値観」は?「個性」は?
とお聞きしたら、人それぞれのお答えが返ってくるのではないでしょうか?
まさに、十人十色。
あなたの考える「尊厳」は?
とお聞きしても、人それぞれなように思われます。
誰にも、守られたい・守りたい尊厳があるのではないかと思います。
尊厳という言葉を使わないで、表現することもあるでしょう。
書籍『Dignity 尊厳』では、『”尊厳”こそが、あらゆる人間関係の基礎となる』と言っています。
第1部では、”尊厳の10のエレメント”について記述があります。
*アイデンティティを受け入れる
*仲間に迎え入れる
*安心できる場をつくる
*存在を認める
*価値を認める
*公正に扱う
*善意に解釈する(疑わしきは罰せず)
*理解しようと努める
*自立を後押しする
*言動に責任を持つ
そして、
第2部 ”他者の尊厳を侵害してしまう原因となる10の心理的誘惑”
第3部 ”尊厳によって関係性を癒すには”
と続きます。
私のごく個人的な考えですが、
親子関係、親密なパートナーシップにおいて、なにより尊厳が大切だろうと思います。
特に、親子関係において。
「家族」という「家庭」の場は、ある意味閉鎖的です。
人に及ぼす「環境」の要因は大きいものですから、その場において、尊厳が脅かされることは、長きにわたり影響することがあります。
私自身、大事に思ってもらってもらい、大切にされたと思いますが、
私がされたいように愛情を示されたのではなく、気持ちの齟齬が多かったように覚えています。
環境要因として、ネガティブな評価を受けることが多かったので、
大人になって、自分を問い直す作業に長くかかったように思います。
だからといって、親を怨むということではありません。
ただ、人が置かれる環境、の中の”人間関係”のおよぼす大きさを考えることが多くありました。
そんなこんなで、つらつらと自分が出逢った「尊厳」を思い起こしてみました。
当日は、もっと気楽に、ほかのエピソードも交えて、もう少しコンパクトにお話しできたら、と思っています。この文章は、そのお話をするための、前段になりました。
2021年4月~個人事業所 VIAヘルスラボ代表:パーソナル ヘルス コンシェルジュ
大学病院看護師、行政保健師、健康関連企業、感染症関連の研究所、国立大学教員を経て現職。
専門は健康学習支援、特に健康学習企画、性の健康学習支援。
加えて、人材育成研修、相談を受ける人の相談スキルアップ研修サポート、個人向けに、心と体の健康の個別相談、更年期世代の心と体の健康相談、少人数セミナー等で、健康づくりの支援を行っている。
2020年からは感染症(新型コロナウイルス感染症等)に関する専門情報を無料提供するFacebookオンライングループを運営。
電話健康相談対応:約1万2千件、
性感染症検査プレカウンセリング:約7千件。
研修講師。
【日常の中の尊厳|尊厳と触れる会・尊厳と出逢う会】Short Story
人間関係において尊厳が果たす役割について、
初めて言語体系化した第一人者ドナヒックス氏の著書『Dignity 尊厳』。
この翻訳を担当したのが、ワークス淑悦(Yoshie Wirks)。
Yoshieと長年の友人であるHarumiは『Dignity 尊厳』を読み、インスピレーションを受け、
ふたりによる、尊厳のエレメントをテーマに対談音声を発信。
尊厳を深めることは、Harumiが長年大切にしてきたH SEEDS(本質のタネ)、Art of Life(生き方)を知る上でも必要だと実感。
2021年からは、日常の中で尊厳を実践し学び深めていくグループ「ディグニティ・尊厳に出逢う 」を継続開催。
2022年現在は、Yoshie・Harumiが「日常の中の尊厳」主宰として、
ーもっと個人の尊厳を引き出したい、という思いから、セッション「尊厳に出逢う会」
ーもっと身近に尊厳に触れる機会があるといいねという思いから、ゲストをお呼びしての座談など「尊厳に触れる会」
があります。
今後は、これらの活動を共にしていく仲間を集う「尊厳ファシリテーター養成講座」を実施する予定です。
★https://www.artoflifeharumi.com/encounterdignity より抜粋+主宰に確認にて掲載
H SEEDSとは
ちなみに、H SEEDSとは:by Harumiさん
ビジネスは、シーズよりニーズ。色々とアドバイスをいただく中で、それでも私の情熱が冷めることなく在り続けたのは、自分のやり方に執着したわけでもなく、「いつかひっくり返る」という、子どもの頃から聞こえていた声が、どんどんと大きくなっていくからです。
「新しい価値のはじめは、SEEDSでしかない」。
これは、私たち一人一人も同じ。見えている部分で判断するのではなく、互いの可能性を見つけていきたいと思う。
そうした循環をしていきたい。
H SEEDSとは、
Happiness
Hope
Heart
Human
Health
Humour
Heritage
Holistic
という意味。
自分自身が人生の半分を過ぎて感じているのは、素晴らしい体験も辛かった経験も未来の種にしていく。
一人一人のインスピレーションが、生き方ーArt of Lifeとなって未来に循環していけるように。
HP:https://www.artoflifeharumi.com/
主催者紹介
*ワークス 淑悦 (Yoshie Wirks)*
日英バイリンガル・コンサルタント。
青山学院大学英米文学科卒業。
サンフランシスコ州立大学院修士課程修了。
NikonやAdobeなどシリコンバレーの日米企業で両国の国際関係に携わるキャリアを経て独立。
翻訳家兼GoogleやSONYなど企業での日本語クラスを含む日英二か国語講師であるかたわら、多様なプロジェクトをコラボレーションし、国際親善や文化交流を深めることに尽力。
芸術や文化の美しいと感じるものに触れることで育まれた感動センスで、日米仏を中心に世界中の人がさまざまな背景や言語の違いを超えて、
歓喜と感動で心がひとつに結ばれるクロス・カルチャーの場において、
'ONENESS'の意識を高めていく活動を展開していく。
ドナ・ヒックス著『Dignity・ディグニティ(尊厳)』の翻訳者。
2020年3月、幻冬社より邦訳版の出版。
*春美*
パーソナルコーチング、講演会、質問講座、食育講座など。
「H SEEDS -自分のタネ(本質)を見つけ育てる」をビジョンのもと展開する。
シンガポールで活躍する方々にインタビューする「シンガポール☆スター」、 世界で活躍する人たちの生き方をテーマに「Art of Lifeインタビュー」などを国内外、移動生活をしながら展開する。
尊厳とは、長年大切にしてきた「H SEEDS(本質のタネ)や自分の「Art of Life(生き方)」を知る上でも必要だと実感。
現在、淑悦(Yoshie)さんと共に「日常の中の尊厳」主宰。
H SEEDSホームページ:https://www.artoflifeharumi.com/
いま、この時代だからこそ、たいせつなことを。
佳き時間になると思います。
お読みいただき、ありがとうござうました。